◎第10部(2021年) 茶の諸々話



目         次


下の番号ををクリックすればその項目になります
  

 1. 盆点 2021/1/1・1/1・2/13・3/12・3/20・3/25・4/2・4/27・4/30   

 2. 紫衣事件の沢庵と江月の心情 2021/5/8    

 3.「茶の諸々話 3. 「楽茶碗」についての話」  2021/5/22・6/3・6/8・6/26・7/2・8/2    



 

 1,  盆点 2021/1/1・1/18・2/13・3/12・3/20・3/25・4/2・4/27・4/30   


 盆点は、奧秘台子12段の中の「真の草」の点前から盆に荘られた茶入の扱いの割稽古として成立した点前である。伝来の茶入と唐物盆が本来であるが・・・    ・・・ 、唐物として扱うことになる。
 四ヶ伝の「盆点」としては、一般に、伝来ある唐物文琳、和物盆を用いて、修練が行われている。

〇 点前の茶室:四畳半
     ※ 奧秘台子12段が原型であるので、広間、小間では点前をしない。

〇 点前道具
 茶入:唐物茶入(伝来物で中興名物で、文琳、茄子、など)
 盆 :和物盆(茶入の相応する盆となるので、・・・   ・・)
     ※ 時代と共に変形盆(丸盆、菱形盆、五角盆)などを用いられるようになったが、本来・・・である。
     ※ 唐物盆を用いてもできるが、扱いは・・・    ・・・、「真の草」に準じた唐物の位置。
 茶杓:象牙
 茶碗:黒楽焼
     ※ 茶入に相応する茶碗の楽焼は、黒楽焼で・・・    ・・が望ましい。
 水指:曲木地水指
 建水:唐銅
 蓋置:白竹
     ※ よく青竹でなければいけないという指導者がいるが、 ・・・  ・・は白竹を用い、割稽古としての「盆
       点」は白竹を用いる。・・・  ・・・は口切、新年などに用いるものである。

〇 点前準備 
 風炉、炉の点前共に、盆にのせた文琳茶入を木地水指前に荘る。

 写真1 楽茶碗に茶巾、茶筌、象牙茶杓をのせた写真。  

 写真2 唐銅建水に竹蓋置を入れ、柄杓をのせた写真。 

 写真3 風炉の場合
 風炉の盆点の点前で、茶事の・・・の点前座。
 木地曲水指前3分(約1p)の距離を開けて、茶入をのせた盆を荘
 る。  

 写真4 炉の場合
 炉の盆点の点前で、茶事の後座で木地曲水指、盆にのせた文琳
 茶入を荘って、客の席入り後に点前を始める時の点前座。
 木地曲水指前・・・開けて、茶入をのせた盆を荘
 る。 

 
〇 菓子を運ぶタイミング 
 茶事では、初座で菓子を頂いているので、点前中に菓子を運ぶことはない。 ・・・ 
 ・・・

 茶事ではなくとも、点前が始まる前に菓子を運び、客は菓子を食べ、縁高を襖建付側に返して置き、
〇 点前順序(菓子は初座でいただいているので、省略する))

1. 襖前に座し、膝前に楽茶碗を置き、両手を畳について(第2関節まで)襖を開け、席中に入る。

  ・ 膝前に右手、左手と畳に第2関節までつける(右手、左手と畳に付くときは、”恋しき人を追いかけるような間合い”)。

  ・ 左手は畳に付いたまま、右手で、襖の取っ手を少し(3pほど)開ける。 ・・・   ・・・

2. 席中で後ろを向いて襖に向き、茶碗を膝前に置いて襖を閉め、茶碗を持って、木地曲水指前に進み、茶碗を仮置く。 

  ・ 右足で席中に入り、左足を進め、右足を左足前に掛け、後ろを向きながら、左足を襖の方へ向け、右足を左足に揃えて座す。

  ・ 右手で茶碗を膝前に置く。
・・・    ・・・  

 図1  席中に茶碗を持って入り、襖へ向いて座すまでの足運び  

 図2 襖を閉めて、茶碗を持って、左足少し前に進めて立ち(@)、 ・・・一呼吸して、左足を前に進める(C)、 右足を前に進め、縁を越える(D)、左足を前に進める(E)、右足を前に進め左足に揃えて座す(F)。 

 

  ・ 左足・・・進行方向へ向けるようにして後ろ斜めに下げ、右足を揃える。

  ・ 一呼吸静止し、左足を前に進め、右足で敷き合わせの延長線(風炉の場合は敷き合わせ)を越える。

  ・ 敷き合わせを越えた右足を含め三歩・・・手で勝手側に置く。

    ※ 茶碗を勝手側に置く位置は、・・・」といって、草庵の仮置位置よりやや上座位置(茶入よりは下座位置)

 
3. 盆を少し手前に引き、外隅ねらいの・・・廻る。

  ・ 少し盆を引く時は、水指との距離を1寸程空ける。

  ・ 風炉の場合は、・・・・位置で盆を手前に少し引く。、

4. 両手で茶入を膝前に置く。

  ・ 左手を・・・、右手で茶入を持って、膝前に・・・を置く。


5. 仕服の緒をほどき、縒(つがり)を緩め、・・・    ・・・仮置。

  ・ 左手で茶入を支えて右手で茶入の緒を手前に引き、親指が上になる様に緒の交差を直し、左手を茶入に添えたまま右手で茶入
    を持って、・・・度回して、打留が左側になる様に・・・置き直す。

  ・ 左手で打留の外部分を左手親指が上になる様にして掴み、右手は茶入の左側の緒が出る縒(つがり)部分を抑え、緒を引き出
    す。

  ・ 手前側の縒(つがり)・・・    ・・・伸ばし緩め、向う側も同じように伸ばし緩める。

  ・ 左手を茶入に添えて、右手で茶入を持ち、炉縁の右3分の1の位置あたりの畳上に置く。

6. 帛紗を腰から取って、・・・   ・・・たたみ、盆を清める。

  ・ 「真」にたたんで、右手で・・・  を持ち、盆を右、左で盆縁を持ち、左手親指が縁に沿うようにし左手に盆をのせ清める

 ・・・・

25. 茶碗を右手で、膝前に置き、茶巾を右手で取って、茶入の右側を避ける様にして、曲水指蓋上の茶巾を置く。

26. 両手で「もみ手」をして、左手茶入に添えて茶入を右手に持ち、茶碗の右横まで移し、左掌上に茶入をのせ、右手で茶入の蓋を
   取って、左手の下を通って、四方盆中央に茶入蓋を置き、その手で茶杓を取って、茶を入れる。

  ・ 盆上の茶杓を右手で取ったら、・・・  ・・・に持ち直し、人差し指をできるだけ茶杓上の先部分へ伸ば
    し、茶杓を右親指付け根と・・・   茶杓は、右手肘から茶杓の
    櫂先まで一直線となり、美しい茶杓の持ち方となる。

  ・ 茶を汲む時は、・・・   にすると、多くの茶も茶杓にのり、美しい茶の汲み方となる。

   ※ 浅き茶入は掬い、深い茶入は汲む所作である。

 ・・・・

36. 点前座へ戻ると、蓋置を左手で取って、右手で定座へ置き、・・・釜の蓋を取り、蓋置に置き、柄杓を
   釜にあずける。

  ・ 柄杓構えて釜の蓋を取る時、先に帛紗で・・・置きがしてあるので、帛紗で釜の蓋を開け、帛紗
    を左膝横に戻す。

37. 曲水指蓋上の茶巾を・・・る。

38. 曲水指の蓋を取って、曲水指の・・・置く。

 

曲水指蓋上の茶巾を釜蓋上へ移す           曲水指の蓋を開け、水一杓後、茶碗を取りこんだ写真
 

 写真14 
 @ 点前座で、蓋置を定座に置き、柄杓構えて、釜の蓋を開け、柄
   杓を釜にあずけた後、茶入を避けながら曲水指蓋上の茶巾を
   取り、茶入を避けながら釜蓋上へ移す。  

 写真15
 @ 茶入を避け・・・の左横へ移す。、
 A 蓋の桟を左手で掴み、水指左側横に、蓋の桟の綴目が上にな
   る様にして、曲水指左側横にもたせ掛ける。
   柄杓を取って水一杓を釜に入れ、柄杓を釜にあずける。
 B 定座の戻された茶碗を膝前に取り込み、総礼。




39. 柄杓取っ・・・ける。

  ・ 帛紗で・・・帛紗を腰に付ける。

40. 定座に返された茶・・・"blue">◇ 正客は、「景色も趣のあるお茶碗ですが、お茶碗は・・・」と尋ねる。


  ・ 亭主は「お茶碗は、楽の一入(一例)です」と答える。
     ※ 盆点で用いる茶碗は、伝来の茶入であるので、茶入に相当するためには、一入の時代のものが適する。
       茶碗の銘があるとは限らないので、正客は銘は尋ねないが、銘があれば、亭主は「銘は、・・・」ですと答える。


41. ・・・「お仕舞します」という。

  ・ 柄杓を取って、故お半杓入れ、柄杓釜にあずけ、右手で茶碗を取って、左手で建水へ湯を捨て、右手で膝前に置き、お仕舞の
    挨拶をする。

42. 水を半杓汲んで、茶碗へ入れ、茶筌すすぎをする。

  ・ 右手で・・・    ・・・げして茶筌すすぎをして、茶筌を最初に置いた位置の炉縁右側のかぎ畳
    中央線上で点前畳縁内畳5目あたりの位置へ置く。
   ※ 京間以外の畳では、茶筌は、かぎ畳中央線ではなく、3等分した向う寄りの線上の位置で点前畳縁内畳5目あたりの位置。

43. 右手で・・・に置く。

44. 茶・・・

45. 盆上の茶杓を右手で取って、左手で扱って、右手で茶碗の左縁上へ置く。

46. 右手で茶碗・・・持って、勝手側の最初の位置(草庵の茶の時に置く位置より上座)へ置き、そ
   の手で、建水を下げる。
   ※ 建水を下げる位置は、茶碗と柄杓の間に、柄杓の「合」が置ける余裕を開ける。、

47. 柄杓・・・て、釜の蓋を閉め、柄杓を蓋置に引く。

48. 水指の蓋を左手で取って、両手で蓋を閉める。

  ・ 水指・・・にして、両手は膝上へ。
   ※ 風炉の場合は、・・・服の拝見を・・・」と所望する。

58. ・・・置き、蓋置を建水下座に置いて、左手、右手と畳に第2関節までついて、右手
    で襖の取手を3センチほど引いて開け、下から20〜30pほどの高さを右手で正面まで空け、右手を畳について、左手で襖の下
    から・・・右へ押し開け(襖3pほど掴めるように残す)、両手を膝前に一呼吸付ける。

  ・ 柄杓、蓋置を右手で持ち、建水を左手に持って水屋へ帰る。

59. 茶碗を引きに出て、水屋へ帰る。

  ◇ 正客は、拝見道具を引きに出る。

  ・ 亭主が茶碗を引きに出て、敷き合わせを過ぎるころに、道具を引きに出る。

  ・ 道具の前で、もみ手して、茶入を盆にのせ、盆を少し引き、左手を第二関節まで畳に付けて、茶杓、仕服を順次引き、同じ動作
    を繰り返して、自席まで戻り、膝前の盆を縁外上座へ移し、左手を第二関節まで畳に付けて、茶杓を縁内膝右角へ置き、仕服
    も同様にして右手で仕服の底部分を取り、左手にのせ、右手で仕服の右側を持って左へ打ち返して、打留を左側へ向け、右手
    で仕服の底を持って、左手を第二関節まで畳に付けて、茶杓の右側へ置く。

 

拝見道具の引き方

 図6  



 

60. 亭主は、曲・・・指を置いて襖を閉める。

  ・ 襖を閉める時は、両手を膝前に、第二関節まで畳に付けて、一呼吸ついて、下から20〜30pほどの高さを左手で襖を掴み、膝
    正面ま・・・の高さを掴み、右に引き閉め、右手で襖の取手を押して
    にて茶入・・・古帛紗中央へ仮置する。

  ・ 盆を右手から掛けて両手で持ち、盆の表側を拝見し、右手を上、左手を下になるように盆を左へ返し、左手を右手の少し向こう
    側で盆を持ち、右手を盆の・・・し向こう側で盆の縁を持ち、左手を盆の下側の縁を持って右へ返して盆を表
    が元に戻る様にして、畳上に盆を戻し、右手から盆を離す。

  ・ もみ手をして、古帛紗上の茶入を右手で持ち左手添えて、持ち上げ、盆の手前側から盆の中央へ茶入を置く。

     ※ 茶入を取り置きする所作は、手先だけではなく、体を使って所作をすることが大切であるので、古帛紗上の茶入を持っ
        て、体を起こしながら、盆の手前側から体を倒しながら盆中央へ茶入を置く。


  ・ 茶入が・・・茶杓を取って、次客へ送る。

  ・ 左手を第2関節まで畳に付けて、右手で仕服の底を持って、膝正面縁外に置き、全体を見て、右手で仕服を取って、左手を添
    えながら仕服を拝見し、畳上へ戻し、「残心の念」をもって再び見て、左手の第2関節まで畳に付けて、右手で仕服の底を持っ
    て、次客へ送る。 次客も同様に拝見し末客・・・

  ・ 末客は、茶杓の拝見を終えると、縁内左膝角左側へ、左手の第2関節まで畳に付けて、右手で茶杓を仮置く

  ・ 末客は、仕服の拝見を終えると、右手で仕服の底を持って左掌にのせ、仕服の右横を持って左側へ打ち返し、緒の打留が右
    になる様にして、仕・・・」右手で茶杓を取り膝前中心に置く。
    左手の第2関節まで畳に付けて、右手で仕服の底を取り、縁外の茶杓の左側へ置く。

  ・ 末客は、・・・手で仕服の底を持って茶杓の左側へ移し、順次同じように進
    めて、出合った正客の正面に茶入盆を右回しで、正客の右膝前に返し、左手の第2関節まで畳に付けて、右手で茶杓を盆の
    下座(正客の正面・・・節まで畳に付けて、仕服を返す。

  ・ 

 ・・・・



正客が拝見道具を返す順序                  拝見道具が返された時
 

 写真20
 @A 正客は、四方盆を右向う左手前で二回で、正面を亭主側に
    向ける。
 B  茶入盆を畳縁から1目の間を開けて、写真の位置へ移す。
 C  左手の第2関節まで畳に付けて、茶杓を右手で取って、左手
    で少し右手の向こうを持ち、右手逆手で親指を上にして茶杓
    を持ち替え、左手の第2関節まで畳に付けて、茶杓の正面を
    亭主側に向けて、畳縁から1目の間を開けて置く。
 D  左手の第2関節まで畳に付けて、右手で仕服の底を持って、
    左掌にのせ、右手親指を上になる様にして仕服の底を持ち
    替え、写真のように茶杓の右へ置く。、
 E  もみ手をして、盆上の茶入を右手で持って左手を添え、写真
    のように鐶付の位置へ置く。  

 写真21
 もみ手をして、茶入を盆から下ろして鐶付に拝見道具を返した写
 真。




61. 亭主は襖を開けて、返された拝見道具の前に坐す。

  ◇ 正客は、道具を尋ねる。
  ・ 「お茶入は・・・」


  ・ 亭主は、「(例)伊達家伝・・・興名物、岩城文琳でございます。」答える。
  
  ・ 正客は「お盆は・・・」と尋ねる。


  ・ 亭主は、「(例)初代宗哲の真塗四方盆でございます。」答える。
  
  ・ 正客は「お茶杓は・・・」と尋ねる。


  ・ 亭主は、「(例)利・・・茶杓でございます。」答える。
  
  ・ 正客は「お仕服は・・・」と尋ねる。


  ・ 亭主は、「(例)亡羊緞子でございます。」答える。
  
  ・ 正客は「ありがとうございました」と一礼。


62. 亭主は、もみ手をして、茶入を盆にのせる。
     ※ 茶入を取り置きする所作は、手先だけではなく、体を使って所作をすることが大切であるので、茶入を持って、体を起こし
        ながら、盆の手前側から体を倒しながら盆中央へ茶入を置く。


63. 亭主は、盆を両手でもって、膝前畳縁内へ移す。 
  ・ 右、左と盆に手をかけ盆を持って膝前畳縁内に置く。、

64. 右手で茶杓を取って、膝前で左手扱って、右手で茶杓を盆の左側へ置く。
  ・ 左手の第2関節まで畳に付けて、右手で茶杓を取り、左手で少し向こうを持ち替え、右手で同じ位置を茶杓の側面を持つように
    持ち替え、左手の第2関節まで畳に付けて、茶杓を茶入の左側の盆上へ置く。



拝見道具を答えた後、茶入を盆にのせる               盆を膝前に取り込み、茶杓、仕服を盆にのせる
 


65. 左手の第2関節まで畳に付けて、右手で仕服の底を持って、膝前で左手扱って、仕服の底を右手で持ち直し、左手の第2関節ま
   で畳に付けて、茶杓の櫂先上へ置く。
  ・ 左手の第2関節まで畳に付けて・・にのせ、再び右手で仕服の底を持って、茶杓の櫂先の
    上へ仕服を置く。
     ※ 仕服を持つ時、指導者の中には仕服が傷むから、両手で緒の部分を持つようにと指導する指導者がいるが、仕服の傷
        みにくい部分は底の部分で、奧秘台子12段の中でも、全て仕服の底を持つのが約束であり、その際は、左手は畳に付く
        ことが約束であるので、仕服の底を右手で取り、置く時も片手で置くことを遵守していただきたい。


66. 盆を持って、茶道口へ帰り、膝前右側に盆を置き、一礼して仏間を閉める。
  ・ 襖を閉める時は、襖を閉める手でない方は、手の第2関節まで畳に付けて、襖を閉める。

  盆    点 (完)





 2. 紫衣事件の沢庵と江月の心情 5/8   


  武力による武家の支配の中で、朝廷は、権威の中で官位などの位を下賜することで、収入源を得ていた。宗派を問わず、神社の神官、寺院の僧侶は、・・・・    ・・存在した。

戦国時代を経て、江戸幕府が支配する世になった時、朝廷の支配も経済的統制のもとで達成する目的で、1613年(慶長18年)に幕府は公家衆法度と共に「勅許紫衣竝に山城大徳寺妙心寺等諸寺入院の法度」(「勅許紫衣法度」「大徳寺妙心寺等諸寺入院法度」)を定め、さらに1615年(慶長20年)には禁中並公家諸法度を定め、朝廷が勝手に紫衣や上人号を授けることを禁じた。

沢庵和尚として知られる沢・・・    ・・・公綱典)らは、逃走し、その後、父は山名豊国に従い、沢庵宗彭は出石の唱念寺で出家し、のち宗鏡寺に入った。
1591年、出石城主の前野長康が、大徳寺から春屋宗園の弟子の薫甫宗忠を宗鏡寺の住職に招くと、沢庵も師事した。 1594年、師の薫甫宗忠が大徳寺の住職になった際には、沢庵も従っており、1599年に、石田三成が佐和山城に瑞嶽寺を建立した際には、住職となった薫甫宗忠に沢庵も同行した。
1600年、関ケ原の戦いで、石田三成・・    ・・・大徳寺の春屋宗園(しゅんおく-そうえん)と共に、大徳寺塔頭・三玄院に葬った。

1609年、沢庵宗彭(たくあんそうほう)は37歳の時、大徳寺の第154世住持になったが、3日で辞めて、堺の南宗寺に移った。

1620年、郷里の出石に戻る・・・   ・・・

その中で、後水尾天皇は従来の慣例通り、仏教では最高位の紫の袈裟を幕府に諮らず十数人の僧侶に着用の勅許を与えた。これによって、徳川家光(3代将軍)は、1627年(寛永4年)事前に勅許の相談がなかったことを法度違反として多くの勅許状の無効を宣言し、京都所司代の板倉重宗に法度違反の紫衣を取り上げるよう命じた。

幕府の強硬な沙汰に対して・・・  
江月 宗玩(こうげつ そうがん)は、天王寺屋の津田宗及の子で、大徳寺の春屋宗園に・・・   くの社会的地位のある知人を有していた。 しかしながら、紫衣事件では沢庵、玉室宗珀らとともに幕府に抗議して詰問を受けたが、ひとり許されている点が、現代までいろいろの憶測を残している。

1632年。徳川秀忠の死去すると、天海、堀直寄、柳生宗矩などの尽力により、紫衣事件に連座した者たちは大赦となり許されました。 紫衣事件に連座した者たちは許され、沢庵は徳川家光の帰依を受け、家光に近侍し、寺法旧復を訴えた。
1641年(寛永18年)事件の発端となった大・・・   正式に申し渡され、幕府から剥奪された大徳寺住持正隠宗智をはじめとする大徳寺派、妙心寺派寺院の住持らの紫衣も戻された。 柳生宗矩とは親しく、柳生宗矩の剣は沢庵禅法に依るものともいわれ、沢庵和尚は、柳生家の菩提寺となる芳徳寺の開山などもした。 又、67歳の時には、徳川家光が開山した品川の東海寺に入り、・・・寺・妙心寺も元のとおりに復興した。 ダイコンの漬物「たくあん」は、沢庵和尚が考えたとも、徳川家光が「沢庵づけだ」と命名したとも伝えられている。 1646年に、沢庵和尚はは江戸で没し、享年74歳で、墓所は出石の宗鏡寺と、品川の東海寺に、沢庵和尚の墓がある。

ここで本論の表題の「沢庵宗彭と江月宗玩の心情」を、二人の書によって読み取ってみよう。
沢庵宗彭の掛物の「・・・   ・・書いた沢庵の心情は、事実、現実になったとみることができる。沢庵が幕府に逆らうことなく流罪に服すなかで、幕府側の要人である天海、柳生等が沢庵の赦免の動きをし、赦免にこぎつけた。このことは、「無声呼人」そのもののが暗示していることが現実になったことといえよう。
この「一行・・・    思いは微塵もなく、達成した境地の中での「一行」といえる。

江月宗玩の対幅の掛物は、杜甫の五言絶句
   江碧鳥逾白
   山青花欲然
   今春看又過
   何日是帰年

の中の「・・・・  今春看又過  何日是帰年」が江月宗玩の二幅の掛物に書かれている。

この墨蹟は、同じように幕府に抗議しながらも、江月一人が赦免され、沢庵に対して申し訳ないという意味合いが滲み出た墨蹟であり、杜甫の五言絶句を引用して、出羽国へ流罪された沢庵の心境、・・・    ・・・二度ほど迎えたころと推察ができ、1629年を過ぎて、2年ほど後の1631年の春から徳川秀忠の亡くなった1632年1月以降の春までの間に書かれたものと推察できる。



 紫衣事件の中で、沢庵、江月との心情を読み取ることのできる墨蹟と春屋宗園の墨蹟
 

 写真1 沢庵宗彭の墨蹟  

 写真2 江月宗玩の墨蹟

 写真3 春屋宗園の墨蹟


 一番右の春屋宗園の墨蹟は、「一馨鉄笛梧桐落」。津田宗及・今井宗久・千利休らと親交。利休の孫宗旦を弟子とする。後陽成天皇の勅問に答えること数度、大宝円鑑国師号を特賜される。慶長16年(1611)寂、83才。当時の茶人僧侶に影響を与えた人物の墨蹟を参考のために掲載しておこう。
 ※ 墨蹟の写真は、書籍第5巻の巻頭に掲載済



 3. 「楽茶碗」についての話」  2021/5/22・6/3・6/8〜    


 

 「楽茶碗」については、今までに多くの記述が発表されている。茶人の世界でも、「一楽、ニ萩、三唐津」といわれるように、楽茶碗は侘びの茶の世界で、一番適した茶碗として認識されている。

「楽茶碗」とは何かといえば、轆轤を使わないで、手とへらだけで成形し・・・   ・・・、肉厚などをへらで削り落として軽減し、重量を軽減し、釉薬をかけ、赤楽では、摂氏750〜900度、黒楽では、黒釉薬成分が解ける1050度〜1150度で、釉薬が解けたら、短時間(約2時間前後)で引き揚げ、急冷させて作る手法で、急冷の中で生じる乾乳の趣を作り出す作陶で、低温で焼き上げた茶碗として一般に認識されている。

土は、初期に作られた時は、聚楽第の近くの黄色い壁土を用いて作られた。その理由は、壁土の土に意味がある。きめ細かい壁土は塗れば美しいが、一部が欠ければ、きめの細かさのために、全体の部分までつながり、崩れやすい。崩れやすさを防ぐために少し粗目の土を混ぜ、一部の崩れで、全体が崩れるのを防いでいるのが壁土の組成である。・・・   ・・・
作家によって、壁土に近い成分に他の土を混ぜて楽焼の手法で焼き上げている。それ故に、楽焼の土としては、決まった土は存在しない。
又、歴史的に、「楽焼」と称する名称の許可を楽焼を作り出した「楽家」に与えたために、「楽焼」といえるのは、「楽家」で作られた楽焼だけであるとも言われる。
しかしながら、壁土に混ぜて作られたそれぞれの楽焼の土によって、楽焼の手法で焼かれた作品は、「楽焼」と広義にいえる。

 その「楽」についての歴史的流れ、代表的楽家の楽茶碗、又、実際に作陶の経験の中で実感した「楽」について記述してみよう。

〇「楽茶碗」の歴史

 [楽焼」の始まりは、帰化人である唐人の阿米也(あめや)が、中国の明の焼物の緑、黄、褐色の三彩陶の持つ色鮮やかな三彩釉の技術を日本に持ち込んだことから始まったと考えらる。その血筋の長次郎の作品には、1574年(天正2年)のニ彩の獅子像が残されている点から、明の焼物三彩の技法を生かしていたとみられる。

日本において、桃山時代には、三彩陶はおおくつくられているが、黒釉、聚楽土の色を生かした焼物を作り上げた長次郎の作品は、千利休の侘茶の世界に取り入れられた。
手作りの味わい深い作品は、聚楽の土を用いて、低温の中で作られ、「聚楽焼茶碗」と呼ばれたが、秀吉から「楽」の印称を得て、「楽茶碗」として世に知られるようになった。

 佐々木姓を名乗り、長次郎、常慶はその子供であるという系図(図3)があるが、「図3」の系図の方が説明がつくと思われる。

楽家の系図

 図1  楽家系図
五代宗入には、本阿弥家の血統が流れており、培った作風が、作陶、絵付け発揮されたと考えられる。初代長治郎の血脈は、二代常慶には伝わらなかった。

 図2 楽家系図
七代長入は、本阿弥家、二代常慶の血脈を引いた楽家である。七代長入は楽家中興の祖ともいえる活躍をした。  



 第1図に記載した「あめや」の系図で、田中姓、長次郎、二代目常慶の整合性に疑問を感じざるを得ないので、調べてみると、「彩壺會講演禄(島遼太郎 大正9年3月13日発行)」にその整合性がみられたので掲示する。


 図3 「彩壺會講演禄」による楽家元祖「阿米夜」、長次郎、常慶の系図  



  「彩壺會講演禄(島遼太郎 大正9年3月13 阿米夜という人物が帰化して、宗慶と名乗ったのか、又、阿米夜の子が父子ともに帰化して、宗慶と名乗ったとも考えられる。宗慶は、通称、彌吉、又、政吉と称していたともいわれている。・・・
京都の上長者町西洞院の東に住所蔵されている長次郎作の「赤釉の獅子」からも長次郎が時代の先頭に立つ陶工であったことが証される。
長次郎が、利休の意匠による指図で茶碗を作って、秀吉の御用も務めていた。秀吉の御用による作陶のため、秀吉から合力米を賜り、作品は世間に売られることは一切なかった。その生涯は1592年(文禄元年)77歳で没した。

大阪城築城前、その地は、本願寺教団が、1533年本山として発展したが、織田信長との戦いで、11年ほどの戦いを経て、1580年(天正8年)に顕如明け渡し、その直後に焼失した。・・・
その明け渡しに秀吉と交渉したのが、本願寺側の家老の下間家であった。その功績により、下間家に秀吉から下賜として、長次郎作の楽茶碗を与えた、

豊臣秀吉より下間家に下賜された長次郎楽茶碗

 写真1 秀吉より下間家へ下賜された長次郎楽茶碗  



 



下賜された長次郎楽茶碗箱表書               下賜された長次郎楽茶碗、箱裏書等
 

 写真2
 下賜された長次郎楽茶碗箱表書
 「豊公御遺物」   下間家蔵  

 写真3
下賜された長次郎楽茶碗、箱などは、下間家家宝として伝わった。

 写真4
 下賜された長次郎楽茶碗を家宝として記載した下間大進の箱裏
 漆書  

 写真5
 写真4の漆下記文を活字へ直したもの

 下間大進の「大進」は、中宮職・京職などの判官の長を意味する。
 (大桑 斉著「本願寺の奏者について」)


 下間家は、元をたどれば、清和天皇の血筋を引く鎌倉幕府の将軍、源頼家、源実朝が相次いで暗殺されて、北条氏の執権政治から朝廷政権の復活を試み、全国に戦乱を起こした承久の乱(1221年)の少し前の1219年の時、後鳥羽上皇が、源頼政の孫の源頼茂、源頼政の玄孫(やしゃご)の源宗重を処刑しようとした。
 偶然にも出合わせた親鸞が、源宗重を出家させる条件で助命を申し出た。源宗重は、蓮位坊を名乗り、親鸞の弟子となり、追従行脚し、・・・   などでは、下間氏の子孫が指導的な立場になり、本願寺の坊官として地位を固めた。
大阪本願寺の11世法主顕如が、織田信長との石山合戦では、本願寺の重鎮として、下間頼廉、下間頼龍、下間仲孝等が戦った。顕如が石山本願寺を去った背景には、秀吉との講和交渉で、下間氏は貢献したといわれる。
その貢献に対して、豊臣秀吉から下賜された長次郎の楽茶碗が、「写真1」の楽茶碗である。
顕如の死後、東本願寺と西本願寺に分裂し、下間氏も分裂していった。 下間頼廉の刑部卿家、下間仲・・・西本願寺に仕えた。 下間頼龍、下間頼広親子は東本願寺に仕えた。下間頼龍の死後には、下間頼広は東本願寺から逃げ出し、親族の池田輝政に身を寄せ、池田姓と変え、池田重利と改名した。大坂の陣の戦功により徳川家康から摂津国・・・    ・・・。後継ぎなくお取りす潰しとなる時代の中で、3000石の旗本になり、幕末に江戸町奉行を3度務めた池田頼方をも出した。

〇 歴代作品の特徴

 長次郎の生誕は不明であるが、1589年(天正17年までの生涯であった。長次郎の作品には、形、土の地合いと色合いも良く、手作りとへら目が巧妙に用いられているが、千利休の侘茶の想いが、打ちこめられた作品であるといえる。利休の要望により作品を作り上げ、秀吉からお抱えの窯として生活は保障された反面、作品を他には販売できなかったので、作品は市場には出なく、それなりの価値が生まれた。

 2代常慶は、・・・    ・・長次郎の死後、楽吉左エ門と名乗り、楽家の後継として活躍した。二代徳川秀忠より「楽印」を拝領されたが、無印、在印の作品があり、釉薬も、赤、黒に加えて香炉釉を考案し、織部の作風の沓形に変化を加えた作品もみられる。本阿弥光悦へ「楽焼」の作陶技術を伝授したことによって、光悦作の楽茶碗が多く作られた。又、秀忠の死去の際に幕命で作った香炉が、1958年(昭和33年)に増上寺の徳川家廟発掘の再発見されている。

 3代道入は1599年(慶長4年)〜1656年(明暦2年)の生涯で、常慶の長男として生まれた。千宗旦が、伊勢参宮の際に、成人してから仏門に入った茶屋の主人の「道心坊能古」の名に因んだともいわれ、茶屋の近くの竹藪で作った花入を「ノンコウ」と名を付け、道入に与えた。道入がいつもその花入に花を生けたことから、、道入を「ノンコウ」とも称されたといわれる。本阿弥光悦とも常慶以来の親交があり、光悦の茶碗は、楽家で焼かれた。一方、光悦の芸術性に影響を受け、長次郎のシンプルな作風に変わって、釉薬を装飾的にかけ、導入の作風を作り上げた。焼成温度を高くして、釉を腰より上にかけ、垂れ下がる釉薬の技法を考案した。肉厚も薄く大ぶりな茶碗で、口つくりも飲みやすい「貝端」で、波打った「五岳」、「五峰」の姿も編み出された。、

 4代一入は、1640年(寛永17年)〜1696年(元禄9年)の生涯で、導入の長男として生まれ、長次郎の作風に魅了され、特に黒の釉薬と混ざる朱の釉薬の美を完成させた。



一入の楽茶碗、宗偏流4代宗也(宗偏流中興の祖)の極箱裏書
 

 写真6
  朱の釉薬が鮮やかに表れている。  

 写真7
  深い朱の釉薬がみられる

 写真8
 宗偏流8代宗也の極箱書



 

 5代宗入は、1664年(寛文4年)〜1716年(享保元年)の生涯で、本阿弥光悦の血筋を引いていて、一入の娘の妙通の婿養子で楽家を継いだ。尾形光琳、尾形乾山ともいとこの関係であった。宗入の作風は長次郎の侘びに魅了され、「カセ釉」という表現を作り出し、侘びた味わいの楽茶碗を完成させた。

 6代左入の生涯は1685年(貞享2年)〜1739年(元文4年)で、京の大和屋嘉兵衛の血脈を養子に迎えて、楽吉左エ門となったので、楽家の血統ではなく、姻族である。本阿弥光悦の作風、楽歴代の作風を取り入れ、「左入二百」の自らの作風の作品を作陶した。

 七代長入の生涯は、1714年(正徳4年)〜1770年(明和7年)で、漆黒の強い光沢のある釉薬を用い意、赤楽茶碗では聚楽土に白土を混ぜ、幅の広い色調の作品を作り上げ、香合、置物なども作品として残した。

 8代得入の生涯は、1745年(延享2年)〜1774年(安永3年)で、29歳の若さで病死したので作品も少なくやや小ぶりのものが多い。長入の逝去を機に、25歳で隠居し、佐平衛と名乗り、長入の次男に後継を譲った。「得入」は、25回忌の時に与えられた道号である。

 9代了入の生涯は、1756年(宝暦6年)〜1834年(天保5年)で、兄の得入が25歳で隠居し、1770年(明和7年)に14さいで楽吉左エ門を襲名し、1811年(文化8年)了入と称した。長い作陶の中で、手捏ね技法とへらにより強調した肉厚の薄つくり、腰の低い小さい高台という作風を確立していった。
了入の印は、天命の火災にあった33歳までの「火前印」、33歳から隠居するまでの普通の「楽」の字を用いた「中印」、隠居してからの「草楽印」に分けられる。
また、長次郎200回忌では、赤楽茶碗を200個作り、草書の「寛政判(別名茶の子判)」と呼ばれる印が用いられている。時には釘で作者の名前を書き入れたり、「数印」という複数の印を入れた試みもしている。



了入の楽茶碗、鵬雲斎の極箱裏書
 

 写真9
  黒の光沢、へら目、肉薄の作風が読み取
  れる。

 写真10
  「火前前」の印で、「楽」の字の「白」が「自」
  で表され、「自」の中の横線が右下がりの
  特徴ある印である。

 写真11

 鵬雲斎の極箱書


 

・・・・   ・・・

 10代旦入の生涯は、1795年(寛政7年)〜1854年(安政元年)で、時は幕末で、西欧文化の流入が著しくなった時代の1845年に隠居し、旦入と号した。紀州藩10代藩主の徳川治宝(はるとみ)の別邸を1819年(文政2年)建造した際に楽焼の陶工を招いて開窯したお庭焼で、御殿内の偕楽園で焼かれ、永楽保全、仁阿彌道八、楽了入、楽旦入らも招かれた。旦入は、了入のへらによる作風をさらに進めて、鮮やかな赤楽の色調を作り出し、へらの技巧的な作風を作り出した。

 11代慶入の生涯は、1817年(文化14年)〜1902年(明治35年)で、旦入の娘、妙國の婿養子となり、1871年(明治4年)隠居して慶入となった。明治のころの時代変化の中での茶道具の衰退が楽家にとっても苦難の時代であったが、名門楽家の作品の要望もあり、維持することができた。

 12代弘入の生涯は、1857年(安政4年)〜1832年(昭和7年)で、11代の慶入と同様の時代変革の中で楽家の維持に苦労した時代であった。作風は独特な装飾的箆目の使い方に特徴があり、赤楽には変化に富んだ色合いがある作品を作った。

 13代惺入の生涯は、1887年(明治20年)〜1944年(昭和19年)で、戦乱に突入していった時代の中で、茶道文化における楽茶碗の研究に取り組み、釉薬へ他の鉱石を導入する試みなどをした作家であった。

 14代覚入の生涯は、1818年(大正7年)〜1980年(昭和155年)で、戦後の茶道界の復興と共に、楽家も1978年(昭和54年)に財団法人樂美術館を設立し、良き時代を迎えた。作風も窯変などを取り入れモダンな造形美を試みたものが特徴でもあった。

 15代直入は、1949年(昭和24年)生まれで、現在、「焼貫」の手法を用い、現代に合った前衛的作風を試みている。 ・・・    ・・・

 









     


 

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